教員を辞めたわけ②

isetani michiharu i

\ぽきっと折れた。もう無理…と思った日/

 


1 やりきって辞めよう

残り2〜3年。
それまでにやり切って、気持ちよく辞めるんだって決めていた。

研究主任2年目、5年生の担任。
「この子たちを卒業させて、自分も卒業しよう」

とにかく、授業に全力。

やっぱり、学校教育で一番大事なのは“授業”。
一番時間を費やすし、授業がしっかりしていれば、クラスは荒れない。
それが自分の信念だった。


2 充実していた授業

子どもたちが「わかる!」「できた!」って
目をキラッとさせる瞬間が好きで。

「こうすればいいよ」って
教えてしまいたくなるのを我慢して、
学びに向かう姿を引き出す。

授業は楽しかった。
子どもたちも楽しそうで。
毎日が充実してた。


3 少しずつ削られていた自分の“余白”

平日は全力で仕事。
土日は妻の時間も確保したい。
(平日は夕方まで一人で娘を見てくれているから)

元々、休日の早朝のカフェでの一人時間がリフレッシュだった。
読書したり、授業を考えたり、ぼーっとしたり
何気ない時間だけど、それが心の余裕だった。

でも、娘が生まれてからは
その時間も減っていった。
(もちろん、娘との時間は幸せ。でもね)

自分でも気づかないうちに、
心の余裕がなくなっていった。


4 ある日出来事 限界のスイッチ

クラス内のちょっとしたいざこざ。本当によくあるようなこと。
丁寧に、子どもたちの話を一人ずつ聞いて、時間をかけて対応した。

でも、納得できなかった。
自分も子どもも

悔しい。悲しい。

土日を挟んでもこの感情は消えず、
週明けの朝――

始業前に体が動かなくなった。


5「やってられない」その言葉が、ふと心に浮かんだ

悔しさ、情けなさ、絶望感。

「自分、何やってたんだろう」
「もう無理。続けられない」

後悔の残る指導はこれまでもあったはずなのに、何で今回は…?
自分を責めてしまう。
これまでやってきたことに自信がもてなくなっていた。


▽救ってくれた、校長先生のひと言

校長先生が言ってくれた。

「…休んでみないか?」

その言葉に、救われた。
あのひと言がなかったら、きっと無理にでも出勤する方法を考えていた。

戸惑い、苦しみ、現実を受け入れられない日々が始まった。

ただ、ただ、悔しくて。
情けなくて。
子どもたちにも、先生方にも申し訳なくて。

ひたすら、自分を責め続ける毎日だった。


▽でも、そんな日々から少しずつ抜け出せたのは…

(次回へ続く)